【真右エ門の哲学】なぜ、我々は炎に祈るのか。「石の理性」と「炎の奇跡」の融合論

真右エ門窯 CBOの馬場泰嘉です。

私たちが日々向き合っている「陶芸」という営み。
それは一般的に想像されるような、単なる土遊びや、形ある器を作るだけの作業ではありません。

我々にとっての陶芸とは、「石の理性」と「炎の奇跡」を融合させる、精神の修練(道)そのものです。

なぜ、我々は1300度の炎に祈りを捧げるのか。
本日は、真右エ門窯が提唱する美の哲学、その根幹について記します。

目次

1. 5000年の叡智、「石の理性」

有田焼、そして真右エ門窯を象徴する美しい釉薬(うわぐすり)。
その正体は、長石や石英といった鉱物、すなわち「石」の粉末です。

エジプト・メソポタミア文明から続く5000年の釉薬の歴史の中で、人類は「どの石とどの石を混ぜ合わせれば、どのような色が現れるか」という膨大なデータを蓄積してきました。

これは純粋な「サイエンス(科学)」であり、緻密な計算に基づく「ロジック(論理)」の世界です。

私たちはこの先人たちの叡智を受け継ぎ、0.1グラム単位の調合に「美への執念」を注ぎ込みます。
この冷徹なまでの計算と論理的アプローチこそが、私たちが「石の理性」と呼ぶものです。

しかし、理性だけでは「感動」は生まれません。
計算だけで作られた美は、どこか冷たく、予定調和なものに留まるからです。

2. 人智を超える領域、「炎の奇跡」

計算を尽くした作品を、私たちは窯(かま)へと託します。
一度火を入れれば、そこから先は人間の手が及ばない領域です。

窯の中では、1300度を超える猛火が渦巻き、酸素と燃料、そして気圧が複雑に絡み合います。
それはまさに、コントロール不可能な「自然の猛威」であり、カオスそのものです。

どれほど完璧に計算しても、炎の機嫌ひとつで全てが無に帰すこともあります。
だからこそ、私たちは炎の前で謙虚になり、魂を委ねて「祈る」のです。

この、人智を超えた大いなる力によってもたらされる予測不能な変化。
それこそが「炎の奇跡」です。

人智を超えた1300度の世界、「炎の奇跡」
人智を超えた1300度の世界、「炎の奇跡」

3. 融合が生む「耀変(ようへん)」という宇宙

真右エ門の器の価値は、この相反する二つの要素が融合した瞬間に生まれます。

「石の理性(人類の論理)」と「炎の奇跡(自然の猛火)」。

論理の極限まで突き詰めた意志が、炎という圧倒的な他力によって溶かされ、昇華される。
その時、器の表面には「耀変(ようへん)」と呼ばれる、宇宙の星雲のような神秘的な輝きが現れます。

石の理性と炎が織りなす『耀変アート』の宇宙
計算を超えた先に現れる「耀変アート」の宇宙

この輝きは、作為的なデザインではありません。
自然の摂理と人間の意志が共鳴した証(あかし)であり、見る者の内面を映し出す鏡でもあります。

現代社会において、私たちは常に「正解」や「合理性」を求められ、疲弊しています。
だからこそ、理性を超えた場所で生まれた真右エ門の器が必要なのです。

器の中に広がる無限の宇宙を見つめる時、皆様の心は「計算」から解放され、本来の静寂を取り戻すことでしょう。

それこそが、私たちが器を作る理由であり、皆様にお届けしたい「精神的充足」の正体です。

真右エ門窯 CBO 馬場泰嘉

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